休刊にあたり、読者の皆さまからたくさんの「#ショッパー思い出メッセージ」をいただきました。
ほんの一部ですが、ご紹介します

実家にいた時、母が熱心にショッパーを読み、地元の情報を集めていました。
紹介されていたお店に共に行って、おいしいお料理に舌鼓を打ったものです。
りんさん
ショッパーを配布してから33年の月日が流れました。
たくさんの思い出があり、感謝の気持ちでいっぱいです。
今日まで続けてこられたのもショッパーを楽しみに待っていてくださった皆さまの温かい気持ちです。
ありがとうございました。
I・Fさん
入院していた時、ショッパーを持ってきてもらい病室の方と回し読みをしました。
入院生活の中での私のオアシスでした。
H・Yさん
最近では「ゆるりと音楽小話」や、昔、夢中になった宝塚のコラムもあって楽しみにしていました。
ゆめりんさん
八王子は広くて多様性に富むので歩いているだけでは知り得ないことも多く、ショッパーの情報はありがたいものでした。
お風呂の神様さん
関西から八王子に引っ越してきた30年以上前は、今のようにネットの情報は全くありませんでした。
そんな中、無料で週1回、ポストに投函されるショッパーはまさ私が初めて「高尾山の花名さがし」を自費出版し に生活の羅針盤でした。
とんぼさん
私が初めて「高尾山の花名さがし」を自費出版した時、同時開催の写真展と本を紹介してもらいました。
そのおかげで本はロングセラーとなりました。
また、ミニコミ紙としてショッパーには再出発してもらいたいです。
E・Sさん
私の宝物は1991年6月7日号の某ホテルの広告で、俳優の石黒賢さんの相手役でウエディングドレス姿の私が掲載されたことです。
やまなし大使さん
人生初の補助なし自転車はショッパーの「譲ります」コーナーでゲットしたものでした。
八王子に生まれて、育って、暮らして半世紀。
毎週ショッパーを読むのが楽しみでした。
さみしくなるなぁ。
マリオ&ルイジさん
ぼくは、53さいでÝのかいではたらいています。
ショッパーがおわるときいて、つまんないとおもった。
おもいでがなくなっちゃう。
雨の中がんばったこと、あついなつはたいへん。
マンションのかんりにんさんから「ごくろうさん」といわれた。
ショッパーのかわりにまたなにか、くばりたい。
ありがとうございました。
Yの会スタッフ
私たちは障害のある方の就労支援をする通所施設です。
ショッパーメイトとして配布する作業は15年以上続けていました。
苦労もありましたが、受け取ってくださる地域の皆さまに温かい言葉をいただき、一同の励みと自信になっていました。
O・S本郷町
ショッパーは我が家の生活の一部でした。
昨今、情報の提供は紙媒体以外のものが主流になっています。
そんな中、貴紙は急ぎ行く人間の歩みを止め、静かなる時を与えてくれていたようです。
N・Mさん
東村山市から6年前に老人アパートに引っ越してきました。
郵便受けに毎週無料で配布されているショッパーを読ませてもらい八王子のことがわかってきました。
プレゼントに応募したら当たってとても嬉しかったです。
釜ちゃん
ショッパーは地域のさまざまな情報をわかりやすく、きれいなカラー写真とイラストなどで、意外に広い八王子の隠れた名店やお得な情報を教えてもらえるとても貴重な新聞でした。
もう読めなくなるなんて、寂しい気持ちでいっぱいです。
ひさくん
「あのこと、このこと」欄は私の人生の1ページでした。
夢と希望とドキドキとワクワクの40年間、楽しませていただきました。
日々の雑記として写真を貼り付けて、絵本を作り、折にふれて読み返しています。
この1冊は私の宝です。
A・Yさん
子どもの頃からずっと愛読してまいりました。
日常の中に当たり前のように存在してくれていた「ショッパー」。
お別れの日が来るなんて想像もしておりませんでした。
長い間、本当にありがとうございました。
T・Kさん
ショッパーが今回の発行をもって休刊と知り、残念でなりません。
「何とかならなかったのですか」と思う気持ちでいっぱいです。
またの機会に再刊でき、市民のためのホッコリしたニュース紙面を制作していただきたく心から希望しております。
斉石さん
えっ、え~! なぜ、なぜ~! です。
あのことこのことに投稿させていただくと、しばらくぶりの友達から連絡がきて、いかに皆が読んでいるのかがわかりました。
孫の七五三の時もショッパーを活用して、食事にも行きました。
49年間、お疲れさまでした。